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縁をいただき、陸前高田に繫がる

  • 高井晴美
  • 2011年5月1日
  • 読了時間: 2分

【チャリテイ展 】


私は誰よりも海が大好きで、20数年、海をテーマに作品を創りつづけています。

幼い頃から友達のように海に語りかけながら大きくなりました。


2011年・3月11日。海が、大津波が、街も人ものみ込み多くの人々に

悲しみと苦しみを与えてしまいました。


有難うとも言えず、もう会えなくなってしまった人々。


一瞬にして消えてしまった街。


助けに行って犠牲になった方々。


尊いいのちが奪われ、日本中の誰もがテレビの映像を見、涙しました。


私の大好きな海がこんなことをしてしまった。

作品を創ることができなくなり、毎日悲しみに明け暮れていましたが、

こんな私にも何かできると考え、家中の食器や花器を集めました。


会館を借り、チャリテイ展を開いたところ、

舞鶴の方々の温かい支援を受け、

寄せられた志は130万円にもなりました。

私はそれを”難民を助ける会”に託しました。


東北出身の音楽家たちが毎日コンサート開き、

その収益を楽器をを購入する資金にと取り組んでいたのと一緒になって、

寄付されたと報告を受けました。


陸前高田小学校、高田高校、他3校でした。



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↑奇跡の一本松




【ひまわりの種だんご 】


2011年5月連休まえに、舞鶴の絵の先生から


「娘が盛岡にいて今から陸前高田でひまわりを咲かせる

イベントをするらしい。田畑が海水に浸かり、塩害対策と、

少しでも元気な気持ちになれるようにと、、、。

ひまわりの種を包む土は、陶芸用の槌が良いらしい。

どうか、協力していただけませんか。」と。


村上製材所さんの住所を教えていただき、900kgの土を送りました。

村上富夫さんから「有難うございました」と電話があり、

初めて、繫がったことを確認しました。


当時、区長をされていた村上さんは、その土を避難所や保育園等に運び、

丸い団子を作って中に3~4粒ひまわりの種を入れてほしいと、

あちこちに重たい土を持って歩き回って下さったそうです。


報道ステーションで、種まきと、満開に咲いたひまわりの特集をテレビで観ました。


その頃は、被害が多すぎて、何処の街にどのようにすればよいのかも

わかりませんでしたが、縁をいただき、この街と繫がりました。


自分ができること(自分の陶芸の仕事で)を見つけ、協力してゆきたいと思いました。


この時から陶芸家としての本当の私が歩き始めたかのようです。


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